Collezione TV
2019年7月10日

  一台9000万円、72台限定でなんとあの「デ・トマゾ」が復活した。 ブランドの宝庫イタリアからまたまた名門ブランドが甦った。 え、「デトマソ」でしょ? といわれそうだが、「デ・トマーゾ」が正しい。なので「デ・トマゾ」。 ここでは世紀の発音と表記でいかせてもらう。   最近では70年代のスーパーカー、パンテーラが高値を更新し続けているが、そうゴージャスな感じのなかったデ・トマゾも、ここにきて時代の流れに乗っているのか、ウルトラゴージャスになって生まれ変わった。 全く個人の意見だが、テスラ4なんかよりは、こっちのほうがはるかにインパクトが強いし、マーケットでは受けると思う。       アシと車ってのはまったくの別物になっていくこれからの世の中を考えると、やはりこうした「昔の名前で出ています」というのは、あながちレトロなだけではないと思うが…

もちろんアバルトが最も有名なFIATチューナーであることに異論を唱えるものはいないだろうが、GIANNINIというローマのチューナーの手によるFIATたちが、ときにABARTHをも上回るパフォーマンスを持っていると知っている者は、日本にはそういないだろう。   夏を目前にしたこの時期、イタリア各地で週末は様々なイベントで盛り上がるのだが、ちょっとした草レースなどもその一つ。例えばワインの産地としても有名なトスカーナでは、草ラリーなどもさかんだが、そこでまさにブイブイ言わせているのがジャンニーニたちなのだ。 ポルシェ911などに混じって、強烈な勢いで走り抜けていく可愛らしいFIATたちなのだが、事実腕の差があるとポルシェすら食ってしまうほどのポテンシャルを見せることもある。なので、実際イタリアの車マニアとの飲みの席などでは「ジャンニーニなんすよね…。」というと「むむっ」…

ミハエル・シューマッハの話はここでもよくするのだが、先日のニキ・ラウダ逝去にからめてか、はたまた思ったほか不調なフェラーリF1のネタが多い昨今。 つい最近彼の医療費捻出(あくまで想像)のためか、個人所有車が続々オークションに出ているが、今度は2002年のマシンが登場した。   2002年といえば、全レース表彰台。9回のワンツー。11勝という恐るべき強さを発揮したシーズン。しかも、これまで最多の優勝記録を持っていたファン・マヌエル・ファンジオの通算5回に並ぶ優勝が決まった記念碑的なシーズンのマシンだ。   V10、3リッター、17,800回転で823馬力を絞り出すこのマシンのユニットは、恍惚のサウンドを生み出すことでも有名。 フェラーリF1の中でも名車のほまれ高いこの一台。     来る11月30日に予定されているアブダビにおけるRM Sothebyの…

ニキ・ラウダが逝ってしまった。 このコーナーでも何度か取り上げたことのある、F1界のレジェンドにして、昭和生まれのスーパーカー世代には馴染みの深いドライバー。     何度かここで彼の話をしたことがあるのだが、個人的にはものすごいファンである。 近年映画になった「RUSH」という映画でも描かれた1976年シーズンの話は、当時の車好き少年たちのハートを鷲掴みにしたし、その後の様々な漫画にも彼自身や彼と思しきキャラクターが登場したほどだ。     不屈の闘志という言葉は、まさに彼にこそふさわしく、等の76年の死地をさまようような事故からの復活劇は、本当に衝撃的だった。 もちろん、これを期に最初に手に入れるヘルメットは絶対にニキ・ラウダモデルにしようと心に刻んだものだ。 恐ろしく滑らかでスマートな走りからコンピューターの異名をとったラウダさん。(さん付けで…

ちかごろ、テレビドラマや映画やアニメに登場する場所を訪れる「聖地巡礼」なるものが流行っているが、自動車マニアの世界にも当然そうした動きはある。   そう書いている自分も、大昔の学生時代にはいろいろと聖地巡礼をしたクチだが、ほうぼうで「俺は○○の友達だ」とうそぶいてよく工場に入れてもらったりした。 (注 この手法はのちに先輩となる、有名長寿カーTVのMCが学生時代に取っていた手法だった…。)   コンプライアンスだとかガバナンスだとか言わない、今よりももっともっと穏やかで暮らしやすかった時代のことだけれども、やはりクルマ好きにとっての「聖地巡礼」というのは胸躍るものだ。   なかでも聖地ランク筆頭といえば、自動車会のアイドルといっても差し支えないだろうフェラーリだろう。   自動車の仕事に就き、イタリアに移住し、いつしか何度も訪れるようにな…

一番好きなフェラーリは? と問うのは非常に難しく、答えるのも難しい。 もちろんエンツォの息がかかっている、かかっていないというのは以前から多く議論されてきたし、個人的にはエンツォの目が黒いうちのモデル以外は興味がない。(フェラーリオーナーでもないくせに!)   そんな中、日本ではバブルの象徴であり、母国イタリアでは最後のエンツォの息のかかったクルマとして有名なのがF40である。 イタリアではまずもって走っているF40を見かけることはないが、日本では六本木あたりで普通に走っていたことを思い出す。 そんなF40。イタリアでは色に対するある種のこだわりが強いのでも有名だ。 かつて、フェラーリ社内では「白を頼む人は変わり者」というような風潮があり、599あたりまでは、ラインで塗装を終えたボディの前で写メを撮る工員がいたのを思い出す。 もちろん今じゃ白は珍しくもなくなったわけだが、ちなみに…