イタリア人に限らず世界中で機械式腕時計が流行して久しい。いつも昔話をするのがオヤジの悪い癖だけど、ちょっと前までウン十万ほどで買えたモデルが今じゃ10倍だとか…。 まあ、人気のあるものには理由があり、それがもう手に入らないものならなおさらというのは当然理解できる。これはやっぱりSNS社会が生み出した情報伝播力の賜物なんだなあと納得するしかない状況だ。 以前なら専門誌でしかその存在がわからなかったモデルも、簡単にYoutubeなどで事細かに解説されちゃうから、みんなが簡単に存在を知り、それにつられて値段がつりあがってしまう。 さて、そんな中、オメガからもはや定番ともいえる季節の風物詩的なモデルが登場するらしい。ある意味、イベントとモデルの紐づけがとても上手い同社なのだけど、オメガといえばのオリンピックネタだ。 人とは違う「ちょっとした特別モデル」が大好きなイタリア人らしいとも言えるのだけど、…
わずか一ヶ月ちょい前の話なのに…。まだまだTシャツを着まくっていた10月末。それが、わずか一ヶ月ほどで大雪だったり、氷点下だったり。 昭和の人なら一度は必ず言われたことがあるだろう、 「暑いの寒いの言ってんじゃない!」 って話だけど、それにしても極端だ。何事にも程があるってヤツだ。 TVで観たアンケートだが、実に日本人の6割近くの人が「もう夏はいらない」と思っているそうだ。私もその意見に一票入れさせていただきたい。 地獄の暑さより、雪さえアホほど降らなければ、よっぽど冬で結構というタイプ。何より安心して旧いクルマに乗れるしね。 そんなわけで日本各地でも旧車イベントまっさかり。東京都内でもクラシックカーが走るイベントがあったり、人気の東京青山のイチョウ並木にも、週末となるといろんな旧いクルマたちが集まる。 やっとエアコンレスのクルマでも楽しく走れるようになったのもつかの間、早くも…
シュタイア・プフをご存知でしょうか?言いにくいったらありゃしない、この名前。 昭和の人たちなら「ああ、プフね…。」とドヤ顔をしそうな…。そうです。あのシュタイア・プフです。 お金持ち御用達、メルセデスのGクラスもこのプフ社(現在はマグナ・プフ)が生産しています。 2000年ごろまで、プフのGクラスがあったと記憶していましたが、何が一体このプフがすごいのか掘り下げてみます。 そもそもシュタイア・プフってのは、1864年創業の軍需産業 Steyr(シュタイア)社と1899年創業の Puch(プフ)社 、1902年創業、若き日のフェルディナンド・ポルシェが技術責任者を務めていたオーストリア・ダイムラー(後のアウストロ・ダイムラー)の三社が1928年に合併してできたブランドです。 ざっくり言うと、ナチスドイツの軍用車の中でも性能の良いものは彼らが製作したものです。やがて第二次世界大戦後、「オースト…
フィアット・トーロという車がある。これは南米で成功を収めている有名な中型ピックアップで。いわゆる南米生産モデル。 現行型もカッコいいのですが、「Q-Cars」が公開した動画では、この次期モデルのレンダリングが発表され、ちょっと話題になっています。 日本におけるフィアットって、小型車一択な感じが拭えないのですが、実際は多種多様なモデルを展開していますが、今後、さらなる拡充を図るため、南米モデルであるこのトーロも欧州導入が噂されています。 こうなるとヨーロッパ、中東、アフリカ、そしてやがては日本にも? なんてことをちょっと期待しちゃうじゃないですか。 公開されたレンダリングからは、現在欧州で展開が始まった「グランデ・パンダ」風のフロントマスクを備えるとされており、このデザインは今後のフィアット車における共通アイコンになるのやもしれません。しらんけど。 全長5mのピックアップですが、アメリカ車と…
ビンテージ、いやヴィンテージか。すっかり定義も曖昧となり、「あらゆる中古」に対しても使われる新しい言葉になりつつある。 特に若者たちに対してヴィンテージの刺さり具合が強い。日本やイタリアの友人の子どもたちとも触れ合う機会が最近とても多いのだが、洋の東西を問わず、この「ヴィンテージ」の流行をひしひしと感じている。 TVでも若いタレントさんが古着を趣味としているケースなど、すっかり当たり前になったし、古いレコードやラジカセ、クルマやバイクなども大人気だ。 我々昭和のおっさんたちには、もはやノスタルジアでしかないけれど、一方で「やっぱりこっちのほうがいいや!」という部分も多々あるのは事実。 宝探しの感覚でいろんなお店を回ったりすることも楽しいが、何より、今ではすっかり世の中が画一的になったことに対する反抗のように、デザインや色合いが面白いものとの出会いが楽しいのかもしれない。 新しいものは良いも…
©Black Sabbath / Back to the Beginning オジー・オズボーンが亡くなった。 ハードロックやヘヴィメタルに興味のない方には、まったくもって関心外の話かもしれないけど、個人的な思い出があるので、少しだけ。 彼がどれほどロック界のあらゆる人達から愛されているかは、ネットの記事などをご覧いただければ、すぐに分かると思うので、ここでは割愛したい。 ハードロック、ヘヴィメタルというのは、聞き手を選ぶというか、ある種のマニアックさもともなうジャンル故に、ポップス的なメジャーな認知というのはとりわけ日本においては希薄かもしれない。それでも彼の死が日本のTVニュースで扱われたときには少々びっくりした。 私のオジー体験は1982年、彼がブラック・サバスという名門バンドのフロントマンを解雇された後、失意の中からソロとして復活した頃。 最初は、ちょっと「頭のいかれた感じ」のジャ…