長ーーーーーーーい梅雨と、鬱陶しい天気がいつまで続くのかと頭を抱えていたのに、いざ明けてしまうと体感気温が40度超えが連日…。 まったく新型コロナがある時点で驚いちゃいけないのだが、それにしてもいろんなことが起きすぎる2020年だ。一日も早いワクチンの開発と、伝染が止まることを切に願いたい。 日本でも再び外出自粛が騒がれる中、あれだけロックダウンまでして頑張った欧州各国は、思いの外羽根を伸ばしている連中が多い。あからさまに海外ってのは流石にないが、少なくともイタリアの友人連中は、世界屈指の観光国である自国の観光資源を満喫しているケースが多見される。 サルデーニャのビーチからWhatsappなどで連絡された日には、元気だとしても「最近調子が悪くてさ…。」なんてウソブイてやりたくなるのはちょっと器が小さいか。 &n…
東京五輪が延期された今、すっかり白けムードが漂っているが、モントリオールと聞くと、それでもオリンピックを思い出してしまうのがオヤジの証なのだろうか? 今回はモントリオールとはいえ、アルファ・ロメオのモントリオールのお話。 アルファ・ロメオのモントリオールは1970年のジュネーブショーでデビューしている。ちなみにオリンピックの方は1976年だ。(くどい) ちなみに名前の由来は、1967のモントリオール万博にプロトモデルが出品されたため。デザインはあのマルチェッロ・ガンディーニ大先生。(表紙のモデルがソレ) ウインドウ周りなど同時期のミウラを彷彿とさせるデザインがなかなか痺れる。 アルファマニアにはたまらない、伝説のレーシングモデルTIPO33のV8エンジンを搭載するスーパーモデルで、当時日本では770万円もしたらしい。(現…
こんな噂が飛び交っている。 新型イプシロンがPSAベースになると…。 1985年のジュネーブショーで登場したアウトビアンキY10(ランチアY10)に端を発したイプシロンの系譜。一番のアイコンになったのはエンリコ・フミア氏デザインによる初代イプシロンだろう。 いまだにイタリアの路上では未だに初代イプシロンも活躍しており、如何に人気があったかを物語っている。 2000年代に入ってから、ややずんぐりとした印象になり、ベース車両も次々と変わって現在では500ベースとなっているが、今度はPSAと合体したFCAがその尖兵としてイプシロンをPSAのもつBセグプラットフォームにするという話が出ている。 もちろんこのレンダリングは非公式のもので、YoutubeにおけるBenedict Darius 7さんのものだが、イタリアの情報筋ではこの話はそこそこ信…
今更言うほどのことじゃないけど、公共の道路を使う以上、歩きだろうが、自転車だろうが、バイクだろうが車だろうが、トラックだろうが、みんなが使う道路なので、それぞれがお互い様って状況が基本である。 急いでいる人もいればのんびり走りたい人もいる。速く走ることのできる人も遅くしか走れない人もいる。そういった人々が渾然一体となっているのが道路ってやつだ。 だから、急いでいる人もそうでない人も、お互いに気をつけ「自分のペースを乱さない」というのが基本的には安心と安全を確保できるベースになる。 原理主義的な人が、やれ制限速度以下なんだから、それを少しでも超える人が間違っている的な話をするが、それは罰則規定であり法的な問題である。道路上の基本的なマナーとは人間の気持ちをどう穏やかで健やかにするかのものである。昔いた会社だったら、こういった法改正があるとすぐに食いつ…
煽り、あおり…。言葉の意味としては、左右に大きく揺するといった行為。主に風や勢いに対して使う言葉だ。 「あおってんじゃねえよ!」 というのは、なんだか昭和の暴走族のワードだったような記憶がある。 「あおり運転」となると、他の車やドライバーに対して威圧感や恐怖感を与える運転…。というようなフワフワとした定義がなされている。 いよいよ、2020年6月30日から、あおり運転厳罰化が法制化された。 そもそもこの「あおり運転」なる言葉が一般化したのは、ちょっと前に世間を騒がせた、高速道路上での高級SUVに乗る男による暴力沙汰事件が発端だと思う。 なかなかにスリリングな動画が紹介されたので、このことは記憶に非常に鮮明に残っている。今でも白いドイツのSUVを見るたび「近寄るな!」と冗談を言うくらいだ。 とはいえ、別段その加害者を養護するわけではないが、おそらくはきっ…
「こんなモデルがあったらいいな、作って欲しいな」という願望がおそらく人よりも強いイタリア人。 いろんなモデルが噂を超えた妄想としてネットの世界に広まっていく昨今だが、ここに来て奇特なモデルが噂に上がっている。 それが電動FAIT126だ。 かつて日本にもポルスキフィアット(ポーランド製ノックダウン)の126が輸入されていたが、偉大なる先輩FIAT500の後を継いで1972年から91年まで製造された小型RRである。今でもイタリアの田舎町でたまーに見る。 やはり500の後釜としてはちょっと弱いのは世界が認めるところである。 偉大な先輩と比べるのはいくらなんでも酷な話だが、もう一つ後の大成功モデル、パンダと比べても、今度は中途半端さというか、暗さが目立つモデルだった。 一方東欧では上述のようにポーランド生まれということもあり、かなりの台数が活躍したという…