池田専務率いる池田自動車の100%の善意と好意で生まれ変わった私のX1/9は、どこに出しても恥ずかしくない、それはそれは美しいクルマに生まれ変わった。
懸念材料だった走りも、紆余曲折あり、やれ面研(シリンダーヘッドを研磨することで圧縮率を上げる作業)やら、ピストン交換やカムシャフトの変更などもその後のプランに上がっていたが、レストア後メキメキと調子を上げるアメリカ仕様のX1/9は、何かの恩返しのように調子を上げており、足回りやマフラー交換といった堅実な改造と、基本に忠実な整備でかなり生き生きと見違えるような走りを手に入れた。
とにかくその卓越した走りに心の底から惚れ込んだ。
走行会だ、旅行だで、ほうぼう遠征もした。
いろんな峠道を走った。
どこのホテルに泊まっても褒められた。
子どもたちが寄ってきた。
なにより、ルーフを外して走るのが本当に楽しかった。巻き込みもなく、音楽を楽しみながら、本当に快適なドライブをさせてくれた。
自動車の基本的な構造、整備、調整、ありとあらゆる知識はこのクルマから学んだ。また、ミドシップという特殊性、非力なクルマを速く走らせるためのさまざまなコツなど、実にいろんなことを教えてくれた。その後に乗ったフォーミュラーフォードも、難なく限界を引き出すことができたのも、間違いなくX1/9のおかげだ。
しかし、そんな愛車との蜜月関係は2年ともたなかった。
ある深夜、高速道路を流していた私は、右から合流してくる超大型クレーン車をその視野に入れていた。
しばらくすると合流に至るわけだが、わたしは左車線によけつつ右車線をそのクレーンに譲った…。
しかし、何を考えたか、はたまたこちらが全く見えなかったのか、クレーン車は二車線をまたぎ、左車線に飛び込み、そのまま停止するという意味不明な行為に出たのだ。
私のX1/9はいとも簡単に破壊された。
クルマは文字通り大破、私も骨折まで負う始末だが、意識朦朧としている私を見捨てて、一旦はクレーン車を降りた運転手は、呆然としばし立ち尽くした後、その場を去ってしまった。
当て逃げである。頭から流血したたる中、私はその犯人を追ってくれと警察に頼んだが後の祭りだった。
「それより、あんた、よくこんな事故で生きていたな」
そう驚かれた。池田自動車になおしてもらった部分すべてを破壊されつつも、コクピット周りはすべて無事。無くなったと思った足も無事についていた。
そう、X1/9は私の命を救ってくれたのだ。
その後自動車業界に身をおくことになり、多くのミドシップに乗ったが、いまだにX1/9のもつ高いバランス性を超えてくれるクルマはないと思う。 速いだけではない、軽いだけではない。楽しく、手軽で、便利で、何よりカッコいいクルマだった。
マルチェロ・ガンディーニとジャンパオロ・ダラーラという稀代の天才が手がけた、ヌッチオ・ベルトーネ言うところの「スモール・ミウラ」がX1/9だ。このクルマに巡り会えたことをまさに誇りに思う。
ここでも再三写真を登場させたX1/9ダラーラは、実はいまもイタリアの草レースの無敵車両のうちの一つだ。
イタリア語発音で「イクスウノノーベ」
なんとも長ったらしい名前だが、あの時代において「コードネーム」的な存在として非常に魅力的であった。
また乗りたい。そう思える数少ないクルマの一つであることは間違いない。たぶん乗ると思う。
ともかく、同一ネタによる長らくのお付き合い誠にありがとうございました。
それではまた近々
A prestissimo!!