少々肩透かしのトリノであったわけだが、まだまだこれからパリへと続く蚤の市報告の息抜きに、トリノの名物である自動車博物館で行われていた、ジョルジェット・ジウジアーロ展があったのでそれについて述べたい。
トリノでこそないが、同じピエモンテ州のクーネオという町で生まれた同氏は、FIAT500でおなじみ、ダンテ・ジアコーサ氏に高校生時代に見出され、卒業を待たずFIATのチェントロスティーレに入ったという、まぎれもない天才に属する人物だ。その後は20代前半でベルトーネのチーフデザイナー、そして日本人の共同経営者である宮川氏とともに立ち上げたITAL DESIGNで数多くの名作を生み出し、文字通り一世を風靡する…。
まあ、わたしなんかが言うと失礼千万なのだが、左の自画像にしたって「巧すぎる」の一言でしかない。ごめんなさいジョルジェット先生。
ベルトーネというビッグネームでの活躍はもとより、独立後のソロでの活動でこれほど名を残したデザイナーはいないのではないだろうか? というほど幅広く息の長い活躍をされていた。そんな彼の足跡をたどる企画展が行われていたのだ。
庶民に手の届かないスーパーカーから、庶民のための足といったクルマに至るまで、存分に「イタリアンデザイン」の凄さを教えてくれたジウジアーロ氏の才能には本当に敬服するしかない。
個人的にも彼のデザインであるクルマを複数台所有していたが、いずれも「わびさび」的な滋味に満ちた嫌味のない良さがそこかしこにあふれていた。
フォーマルでもカジュアルでも、時と場所を選ばない実に飽きのこない、これまた失礼千万な物言いだが、本当にクリーンでよくできたデザインで、振り返れば自分のカーライフを豊かなものにしてくれた。
気づけば今も彼のデザインのクルマに乗っているが、ふとしたことで街角のショーウインドーに映るクルマの姿を見るたびに「ああ、イタ車にしてよかった」と思わせてくれるのも魅力の一つかもしれない。
企画展では数多くのスケッチやゴルフやパンダの誕生の経緯をはじめ、彼のアトリエを再現したものなどが展示されており、学生さんをはじめデザイナーを志すヒトには必見のイベントだった。
次回はミラノの「ムゼオ・アルファ」についてご紹介したい。
それではまた近々。
A Prestissimo!!