Vol.037 ピニンよ、お前もか…。

1967-pininfarina-dino-berlinetta-prototipo-competizione巨星墜つ…。

 

消滅に比べればマシとはいえ、ついにイタリアプロダクトデザインの砦、ピニンファリーナがインドのマヒンドラに買収される。2008年ごろからピニンファリーナ一族の経営放棄、受託生産からの撤退など、この現実がある程度予期できたこととはいえ、ついにイタリアからカロッツェリアが消えてしまった。

 

 

このコーナーで再三書いているが、日本で考える以上に欧州の不景気は深刻だ。
累損が5700万ユーロ(実に70億円以上)だったとのことだが、それ以前に多くのクルマからピニンファリーナのエンブレムが消えて久しいのを気にしている方も多かったはずだ。

 

pininfarina-lancia-astura-6262ピニンやフェラーリ、フィアットの知り合いに聞いても、昨今の自社デザイン移行というのはコスト面でも致し方ないという意見でまとまっていたが、とはいえ、なんとかして欲しかったというのが本音。実に残念だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学生時代からイタリア車を乗り回していたので(そう言うと聞こえが良いが、ボディなど腐りまくりのバイクより安い値段で買ったクルマだった)、あまりにも入手困難なパーツを手に入れるために、ポケット辞書片手にトリノに乗り込んだのがそもそもの始まりだ。もちろん、その後まさか移住することになるとは思いもしなかったが…。

 

 

 

 

 

 

そんな学生時代に出来たことといえば、とにかくアポ無しで憧れの会社に飛び込むことだった。アバルトはもちろん、フィアットやランチアなど、イタ車好きにはまるでテーマパークのようなトリノの街を毎日のように巡り巡っていた。

 

 

 

 

 

 

4982_pininfarina01gもちろんピニンファリーナも聖地の一つ。
あの風洞実験室を見ることを最終目的にしつつも、デザイン会社にそう簡単に入り込めるとは思わないので、あのエンブレムが燦然と輝く本社前で何日かウロウロしたものだ。三日目くらいにこちらの意図を察してくれた守衛さんが話しかけてくれ、「少年、写真はマズイぞ。まあ、見るだけなら、俺は何も見ていないのでどうしようと勝手だが…。」と言ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

P6青臭い思い出とともにある憧れのカロッツェリアたち。
枚挙にいとまがないほどにトリノ市内に点在した彼らも、ついにこの巨星を最後に潰えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 
正直、彼らのデザインしたクルマこそが永遠の憧れであり、今でも変わらぬアイコンだ。いや、イタリア車の象徴そのものと言ってもいいと思う。

どういう形にせよ好ましい形での復活を切に望みたい。

 

 

それではまた近々。

 

 

A prestissimo!!