ビンテージという価値観

ビンテージ、いやヴィンテージか。
すっかり定義も曖昧となり、「あらゆる中古」に対しても使われる新しい言葉になりつつある。

特に若者たちに対してヴィンテージの刺さり具合が強い。
日本やイタリアの友人の子どもたちとも触れ合う機会が最近とても多いのだが、洋の東西を問わず、この「ヴィンテージ」の流行をひしひしと感じている。

TVでも若いタレントさんが古着を趣味としているケースなど、すっかり当たり前になったし、古いレコードやラジカセ、クルマやバイクなども大人気だ。



我々昭和のおっさんたちには、もはやノスタルジアでしかないけれど、一方で「やっぱりこっちのほうがいいや!」という部分も多々あるのは事実。

宝探しの感覚でいろんなお店を回ったりすることも楽しいが、何より、今ではすっかり世の中が画一的になったことに対する反抗のように、デザインや色合いが面白いものとの出会いが楽しいのかもしれない。

新しいものは良いものだ!
ということも事実ではある一方、それはあくまで良心あっての革新があればこそ。

人を騙すような小手先の技術や素材で、目眩まし的に「あたらしいもの」をさもイノベーティブだ! というような論法で広めることは、もうそろそろ限界に来ているのかもしれませんね。

なんのことかって? まあ、いろいろです。
みなさんも身の回りでお気づきになることも多くありませんか?
意外とおかしなものに囲まれてしまっている現在に…。

それではまた近々。

A prestissimo!!