イタリアよもやま話〜Bollito Misto vol.2

イタリア好きが嵩じてついにはフィレンツェに移住までしてしまったCollezioneイタリア特派員Noriによる、「イタリアよもやま話」。
ちなみに「Bollito Misto」とはいわば「ごった煮」のこと。
自動車、自転車、食事にワインやサッカーはもちろん、たまには真面目な社会的な?お話を勝手気ままにお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

クルマといえば、やっぱり運転にも拘りたい…。

というわけで、今回はイタリア人の運転について少々。
イタリア人は運転がうまい。
欧州各国でも特筆できるほどうまいと思う。そこで気になるのが「何を持って上手い」のか?という点。
実のところ、イタリアには取り立ててスピード狂が多いとも思えない。絶対速度ではひょっとすると日本人のマニアの方が速いかも。それでは一体何が違うのか?
彼らは車種や速度にかかわらず、スムースな運転を心がけているような気がする。今から20年以上前に初めてイタリア自動車の本場トリノにいた時に、あまりにも彼らがブレーキを踏まないのに驚いた記憶がある。(旧いフィアットのテールランプが切れてたんだろ?というツッコミはナシで。)
つまり、自分も他人もできるだけ「流れる」状況を作るように運転しているのである。合流技術の粋ともいえるロトンダ(信号の代わりにどんどん導入されている、ランナバウトのこと、小さなパリの凱旋門周辺だと思ってください。)ではなおさらその感覚が求められる。
 

彼らは遠慮しあうわけでなく、かと言って強引ではない、是非つ妙な間合いを保ちつつ高度な「譲り合い」を実現している。それは、ブレーキという路上における緊急動作を極力避けているのだ。だから車速を落とすのに、おいそれとブレーキを踏んで赤いランプを点灯させたりしない。シフトダウンやアクセルワークで完璧に「流れ」を制御しているのだ。
 

 

それを支えるのが、ドライバーの基本ともいえる「周りをよく見る」という基本動作。それが卓越しているとしか言い様がない。それは別の言い方をすると、周囲にものすごく気を配っているとも言える。

 

 

だから、イタリア人は運転が乱暴だとか言われるが、私はそうは思わない。仕事をするとかなり近視眼的で、2つ以上のことを同時にはこなせないモノタスクぶりを発揮する彼らが、マンマや恋人との電話をこなしながら、バイクや自転車などがごった返す、決して少ないとはいえない交通量の街中をスイスイと泳ぐように走っていく。恐ろしいほどの集中力と空間把握能力でだ。だからウインカーのつけっぱなしなんて気にならない。そう、皆流れを感じて運転しているのだ。

 

そりゃあ、日本人がたじろぐのも無理は無い。ある意味、武道家よろしく、間合いを見切り続けているわけだから、日常的な走行すら壮絶な戦いに見えても仕方がない。日本人が考えるクルマ一台に与えられた安全マージンなど、世界では全く通用しないほど「甘い」というのにだ。

クルマという乗り物に乗る以上、車両価格のみならず、税金や保険など高い金を払ってるわけだし、便利に快適に利用したいという「当たり前」の欲求があるはずだ。その感覚が他の国民よりも強いのか、ただ単に運転が好きなのかはわからない。
とにかく、彼ら運転は「皆でより速く(スムースに)」という点において、すばらしい協調性とモラルを発揮していることは確かだ。
 

日本人は徒歩でさえあれば、複雑怪奇で恐ろしい数の人間が交差する渋谷のスクランブル交差点でさえもパニックを起こさない。それは「周りをよく見ている(感じている?)」からに他ならない。それができるのに、なぜ日本人はクルマに乗ると同じことができないのか? エスカレーターではきちんと急ぐ人と急がない人を分けるくせに…。日本人は、どうにもクルマに乗ると性格が変わってしまうようだ。
 

 

 

技術的な話をすると、イタリア人ドライバーはミラーの使い方が大変上手い。
本当によく周りを見ている。特に後ろに対する注意は特筆モノだ。
どんなにゆっくり走ってるクルマも、基本的にパッと速いクルマに道をゆずる。この行為、実に2秒ほど。抜く方も抜かれる方もノーストレス。それはそれは鮮やかなものだ。
 

その点、日本人ドライバー前方注意過多なんじゃないだろうかとさえ思う時がある。
人によっては後ろや横から来るクルマに対する注意など皆無に等しい。本来公道は四方を敵に囲まれた戦場である。いつ何時、誰かが突っ込んでこないとも限らないと考えるのがむしろ正常であろう。それを自覚していないのは、実は「安全運転」ならぬ「漫然運転」を推奨してしまった日本の運転事情と教育のせいなのだろうか。
だから、上手い下手という基準ではなく、実は周りに対する気配り不足というのが根本的な問題なのではないかとさえ思う。
彼らは、以外にも急のつく動作を嫌う。迷惑を嫌う。どんなに混んでいても、どんなに空いていても、横断歩道を渡ろうとする老人や子供を決して見逃さない。きちっと停まって歩行者優先をいつ何時でも実践するのだ。
そう、道路を通行する者としての「責任感」と「共存の精神」に満ちあふれているのだ。だから迷惑運転をする人が、他のドライバーに路上で説教を受けているシーンを良く見受ける。まあ、それはそれで渋滞の原因になるのだが、幅寄せ、パッシングなどと比べ、幾ばくかはジェントルで素敵な行為だと思っている。
 

さーて、イタリア車を愛する皆さん。かくいう私もそうなんですが、ぶっ飛ばすのは確かに快感ですし、ことさらに日本の運転マナーをどうこう言うつもりはありません。ただ、せっかくイタリア車に乗る(乗ってる)んですから、ちょっとは彼らの運転のイイトコロを習得するのも一興かと。
一つの例は、あらゆる速度域でブレーキを踏まない、踏ませない「スムースな走り」を身につけてみることをおすすめします。
譲り合いだなんてキレイ事は言いません。「美しく」走る、走らせる。こんなふうに考えるとちょっと素敵かもしれません。

イタリアの車好き、特にアルファやマセに乗る人なんて、停止以外でブレーキ踏むことなんてないくらいじゃないかというくらいのレベルだったりします。
 

 

いかがでしょう?

以上、新説・イタリアンドライブの巻でした。それではまたの機会に!
A prestissimo!