ちょっとかわったチンクエチェント

シュタイア・プフをご存知でしょうか?
言いにくいったらありゃしない、この名前。

昭和の人たちなら「ああ、プフね…。」とドヤ顔をしそうな…。
そうです。あのシュタイア・プフです。

お金持ち御用達、メルセデスのGクラスもこのプフ社(現在はマグナ・プフ)が生産しています。

2000年ごろまで、プフのGクラスがあったと記憶していましたが、何が一体このプフがすごいのか掘り下げてみます。

そもそもシュタイア・プフってのは、1864年創業の軍需産業 Steyr(シュタイア)社と1899年創業の Puch(プフ)社 、1902年創業、若き日のフェルディナンド・ポルシェが技術責任者を務めていたオーストリア・ダイムラー(後のアウストロ・ダイムラー)の三社が1928年に合併してできたブランドです。

ざっくり言うと、ナチスドイツの軍用車の中でも性能の良いものは彼らが製作したものです。
やがて第二次世界大戦後、「オーストリアに再びモビリティを取り戻す!」という旗印を掲げ、安価で信頼でき、誰もが手にできる自動車を作ろうぜ!

となったのですが、現実的にはなかなかゼロから自動車を開発するのはそう簡単ではありません。それも「安くていいもの」となるとなおさら…。ということで、フィアットとの戦略的提携をむすび、なんとあのチンクエチェントをライセンス生産する運びとなったのです。

そうなると、登場するのはあの名車、そうです、チンクエチェントの出番です。



ただライセンス生産とはいえ、シャシー、ボディ、内装こそフィアット製で、機械部分はオーストリアで全面的に再設計というもので、オールアルミ製の水平対向2気筒 493cc エンジン+ZF製トランスミッションと組み合わせという、ちょっとやりすぎなゴージャスモデルとして生まれ変わり、最高速度は100km/hに達しました。

もちろん、オリジナルのフィアット500などぶっちぎりです。
イタリア人の500に詳しい友人も、「性能はダンチなんだよなあ…。」とぼやいてました。

その後も調子に乗ったシュタイア・プフは、500のバリエーションを拡大。チャーミングポイントであるエンジン音の籠もり防止のオープントップを固定ルーフに変更、内装も豪華に盛り付け、シンクロ付きトランスミッションを備えたモデルなんてのも登場させました。

そして1964年には、あのアバルトをも凌ぐ、27馬力で最高速度123km/hを誇るスポーツモデル 650 TRを。さらに140km/h以上を発揮する 650 TR2 Montecarlo なんてのも登場させます。

このやろうライセンス生産の分際で…。

これらはモータースポーツ界を席巻し、1966年にはポーランド人ドライバー、ソビエスワフ・ザサダの手により 欧州ラリー選手権 を制覇するまでに至ったのです。
また言うけど、ライセンス生産の分際でですよ。

実はアバルトだジャンニーニだと言いながらも、このシュタイア・プフ500には、まったく手も足も出ません。まあ、本家イタリアのより、ちょっとかっこ悪い外観だから許しますけどね。

とにかく、フィアットにはキチンと謝ってくれたと信じます。

それではまた近々。

A prestissimo!!